すずらん

皆様こんにちは。工房の江澤です。今日は数日前に咲いていたすずらんの花を掲載させていただきます。

すずらんは花の形はまさに鈴のそのもの。名前もそこからついたようです。清楚で可憐な印象のこの花は花瓶にさして部屋に置くとなんともやわらかく優しい香りが広がります。フランスでは親しい人にすずらんの花を贈る風習があるそうで、贈られた人には幸福が訪れるとか。こんなに愛らしい花、受け取ったら誰でもうれしいですよね。

さて刺繍の写真のほうは数年前に附け下げの刺繍サンプルとして製作したものです。直径3センチに収まるとても小さな刺繍で、今は小ぶりの巾着に仕立ててあります。花のぬい方「なりぬい」で踊るように揺れ動く花を表しています。ただ単にぬいきるだけではなく、そこに一掛金糸一本で花びらの先をまついぬいすることで、輝く様子も加えています。小さな作品、小さいからこそ手を抜かず、どんな工夫でかわいらしい表現ができるか常に考えながら刺繍に携わってゆきたいな、と思えた作品でした。

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『生きていくための心のルール』 斎藤 磬(いわを)

今日も読んでいただいている皆さま、こんばんは。図案室の齊藤知子です。この時間になりますと少し肌寒い感じがしますが、皆さま、いかがお過ごしでしょうか。今日も、先代の文章をご紹介していきます。長い文章ではありますが、ゆっくり、ゆっくりと読んで静かな時をすごしていただけたら幸いです。今日の写真は、紅会に向かう小道です。左の花はお隣の方が植えましたミヤコワスレ。右に並ぶは桜木。道の突きあたりに見える幹(茶色)が大王松。もう一つの写真は、工房の近くにありますヤマボウシです。IMG_4858 aaa

紅会会報誌『くれない』より 昭和55年12月 3号

巻頭文『生きていくための心のルール』 斎藤 磬(いわを)

反省がなかなか反省にならないのを、我々は日頃よく経験します。くよくよ物事を考えた末に、次からはそのような失敗-損をしないようにと、反省の内容がいつの間にか功利的になっています。けれど自分が大切に持っている筈のものを、少なくも一日に一度確かめることをすれば、それが心豊かな反省となります。大切なものとは、愛とか人生にかける情熱とか人間が生きていく上において必要欠くべからざるもの、人間の条件というべきものです。そして反省の結果怠慢を発見すれば自分にそれをはっきり知らせる為に、時には過酷な方法も考えなければならないし、やっていても慣れれば安易さが芽生えて見落としをしたり、できた隙間にいつの間にか濁った空気を溜めて しまう。それをしない為には、時々自分を強く揺さぶりもせねばならず、また、反省の機会は欲することなく与えられもするけれど、偶然の機会を待ってばかり居る訳にもいきません。

心に不安の影が生じた時にはどうしたらよいか、苦しんだり悶えたりばかりしないで、それからただ身をそらすことだけを考えないで、その中で冷静に考えていられる自分を失わない努力をしてみましょう。こうして得られた復帰は本当に復活の感じを伴います。それは、他から恵まれた復活ではなくて自分で創造した復活なのだからです。不幸を託ちつつも、それを止むを得ないこととして諦める態度をすべきではありません。不幸に出逢った度毎にこの繰り返される復活の歓びを味わうことにしましょう。自分を放っておけば気がづかないうちによごれてしまい、心には自然と重たい溜息が沈殿します。それを機会ある毎に洗い落し、さばさばとした気持ちで、人間として生きている自分を大きく歓ぶことがあってよいのではないでしょうか。

弱音を吐くことに慣れてしまうと、実に簡単に口にしてしまいます。苦しみや不幸からいとも簡単にのがれるには、私はこんなに苦しい、こんなに不幸だと言ってそこから落伍してしまうことです。そうすればその苦しみや不幸に耐えることが出来なかったという、もっとも大きな嫌な不幸を背負うことになります。最後まで耐えることが出来た人は、それを他人に語って誇ることもなくただ黙っているでしょう。誰の為でもないそれは自分の為だからです。忍耐は苦しみに耐えることではあるが、それは又自分の努力の中の悦びでもあるのです。忍耐するのは自分を高め、高まった自分を見て喜ぶものでもあるのです。しかし喜ぶことが目的ではありません。IMG_4840 aaa

思い切ってやめてしまうことも含めて、動くものでありたいと願います。迷うことも躊躇うこともあるけれど、自ら目的を見定めて、それを見つめて立ち上り、努力を漲らせている人の動きを見ると大層美ものを感じます。職場でも家庭でもあるいは街の往来でも、自分から動こうとして行動している人と、否応なしの拘束と強制に動かされている人の容姿は、少し気をつけて見れば必ず見分けがつきます。自分自身の生活から殆ど何の値打ちもないものを捨て去って、その代わりにもっと有意義な行為を一つでも多くして行くにはどうしたらよいかを考えてみましょう。何の疑いもなくそれをした方が良いに決まっていることを、そのまま見送ってしまうことが一日の内に何度あるだろうか。それが習慣になると、それが第二の天性となって、第一の天性を追い出してしまうことさえありそうです。

日常の内には、思い切ってすれば出来ることが沢山あります。それをする為の第一歩を踏み出せるか出せないかなのです。

人生の軌道には執着駅はありませんが、前進はすべきです。心をそれに乗せるには、正しく反省して不安不満を叩き出し、その上で決めた道を忍耐しつつ行う、その過程で役に立たぬ不用の荷は捨て、出来るだけ背を軽くして前進することですね。そして命を果たすのです。

※串田孫一著、愛の断層(大和書房)の各章を読み深く感動を覚え、抜粋要約の上私の思いを加えこの一文とした。

日々、いつもの日常をこなす毎日。『こなす-滞りなく過ごす-』ことで精一杯で振り返ることが少ないような気が・・・。やはり、心も体もリセットできる時間を持つ大切さを感じました。今は森林浴が心地よい季節です。自身のために周りの方たちのためにもお出かけしてみてはいかがでしょうか。

 

颯爽

皆さんこんにちは、工房の齊藤康です。千葉は気温が28℃まで上がりましたが、風もある爽やかな1日です。皆さんはどのように過ごされていますか。

今日の1枚は、工房作品「染地繍名古屋帯 波につばめ」です。波間をぬうように、ただただ一途に飛ぶ姿に爽やかな風を感じます。新しい時の始まり、爽やかな風を吹かせたい場、そのような時や場にいかがでしょうか?

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いずれがアヤメかカキツバタ

こんばんは、講座部の高橋信枝です。先日根津美術館で見て来たカキツバタが未だに忘れられないです。

「いずれがアヤメかカキツバタ」という言葉があります。これは、どれも素晴らしく優劣が付け難いという意味と同時に、見分けがつきにくいという意味にも用いられるようです。刺繍のデザインにも良く用いられる菖蒲や杜若。今日は今が見頃を迎えている、アヤメとハナショウブとカキツバタについてご紹介します。

アヤメ(菖蒲 アヤメ科アヤメ属)アヤメはハナショウブやカキツバタとは異なって、水の無いところで育ちます。また、外側の大きな花びらに編み目模様と黄色い模様があるのが特徴で、花の色は紫が多く、まれに白が見られます。

「ヒオウギアヤメ」

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ハナショウブ(花菖蒲 アヤメ科アヤメ属)ハナショウブは湿ったところに育ち、花の色は色々あります。一般的に、ショウブというとハナショウブを指す事が多いですが、菖蒲湯に使われるショウブはサトイモ科の植物で、日本では奈良時代から端午の節句の飾り物として使われてきました。

「カマヤマショウブ」

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カキツバタ(燕子花、杜若 アヤメ科アヤメ属)カキツバタは水中や湿地に群生し、5月から6月にかけて紫色の花を咲かせます。愛知県の県花でもあるカキツバタ。知立市八橋が、伊勢物語で在原業平がカキツバタの歌を詠った場所に由来していると言われています。

から衣 きつつなれにし つましあれば はるばる来ぬる たびをしぞ思ふ

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そういえば、尾形光琳の燕子花図屏風には水は描かれていませんでした。その後描かれたと言われる、八橋図屏風には水の描写はありませんが、橋があることから水があることが想像できますね。

 

黄ショウブ

皆様今日は絹糸づくり担当の江口です。工房の横にはハス池と呼ばれている池があります、以前はその名の通りハスの花が咲いていたようですが今は「黄ショウブ」がしげっています。キリッと上に伸びるこの花の姿を見ると、ざわついた心を落ち着かせてくれる気がします。

草木染で黄色を出すには「きはだ」や「かりやす」など色々なものがあります。

呼び方についても黄色の他に、

花葉色(はなはいろ):平安時代の装束の合色目の名称

菜花色(なのはないろ):菜の花のような黄色

など幾つか有り、日本人には昔からなじみの深い色である事がわかります。

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KORIN展@根津美術館

こんばんは、講座部の高橋信枝です。今日は根津美術館にKORIN展を観に行ってきました。

国宝に指定されている根津美術館所蔵の「燕子花図」と、メトロポリタン美術館に所蔵されている「八橋図」はどちらも尾形光琳が描いたカキツバタをモチーフにした金屏風。同時に展示されたのは約100年ぶりとか。

燕子花図の方が先に描かれているのですが、橋のある八橋図の画面構成はより洗練されてモダンに感じました。

同時に展示されている酒井抱一筆「青楓朱楓図屏風」(個人蔵)も必見です。

今なら美術館のお庭にも燕子花が満開です。KORIN展は5月20日まで。

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皆様こんにちは、工房の江澤です。

ゴールデンウィークにはつつじも見事に咲き誇り、つつじ園などにお出かけになった方も多いのではないでしょうか。こちら紅会本部の敷地の中でも目にも鮮やかな色とりどりのつつじが咲いています。今日はつつじの写真と共に箔地袋帯「興福院袱紗写し 躑躅(つつじ)」の部分をご紹介させて頂きます。

花のデザインを見ると同じ五弁花でも、花びらの先に切れ込みがあれば「桜」、丸い花びらをしていれば「梅」、花びらの先に少しとがりがあれば「桃」、と古くから文様化されてきた中で、違いを表現されてきているのが分かります。花そのもをじっくりと観察してみるとまさにその通りの違いがあり、日本の伝統文様の素晴らしさを感じられます。

この写真の帯は工房で刺繡をしたものですが、もともとのデザインは江戸時代、徳川綱吉が側室の瑞春院に贈られた31枚現存している刺繡掛け袱紗の中からとっています。実は私、この興福院掛袱紗で刺繡で表現されている花、初めて目にした時には何の花だろう、とすぐに気づくことが出来ませんでした。ですが花を写真に撮り並べてみると花弁のつき方などよく表されていると思いませんか?

刺繡は箔地の袋帯ですのでたっぷりと、オリジナルの掛け袱紗に倣って鮮やかな色彩で刺繍されています。花びらは「割りぬい」の技法で花びらの花脈に沿った糸の動きをしていて、その上に「ぬいきり」で中央の線がぬいとられています。「割りぬい」でぬった糸に対して垂直に小さな点をたくさんぬうことによって、つつじのはなのそばかすのような特徴が表現されています。

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『つくることの中で』斎藤磬(いわを)  昭和55年11月 2号より

こんにちは、図案室の齊藤知子です。今週も、会報誌『くれない』よりご紹介します。今回は、前回以上に長文になっておりますがこれまた最後まで読んでいただけたら幸いです。今日の写真は、日中に撮りましたぷろぺら(種)が付き始めた紅葉と工房へ続く道です。《呼称・軽井沢通り-夏の暑い日差しも遮り涼しい通りです!-》

IMG_4770 aaa 『 すべての芸術の作品づくりが、自己顕示だけであってはならないということであれば、もうひとつのこととして、人の意を迎えるということが、芸術のファクター(要素)として重要ではないかと考えます。見る人に励ましと導き、喜びとしあわせを与えたいとの切なる思いを、自分の中の長年培った才能をもちいて表現しようと、さまざまに工夫をこらす人のことを、世は芸術家と呼ぶのではないでしょうか。また、人間のくらしの中で、言葉であらわすことのできない世界の方がはるかに広いということが、近頃わかってきました。言葉に信を置きすぎると、この世の中に概念が充満します。人が概念のとりこになってしまえば、その人のすることは型だけになり、型人間になれば感動しなくなって、思いが稀薄になります。濃い思いの世界は、もう言葉であらわすことができません。そこは、感じて初めて知ることのできる世界なのです。感じて知る世界を昇華の限りを尽くしてあらわすのが、人や事物に接して感動した作者がその感動を自分の心の中を通過させてのち人に伝えようとするのが、芸術家であって、それは、つくしたという願望の集結なのではないでしょうか。

私は、このごろ、複数で人が居るのに、そこに愛が無くて、その空々しさを気にもかけない人たちの有様を見ると、怖くなってしまいます。

つくすとかつかえるという言葉から封建性を取り除けば、人間の行為として、なんと美しい内容をもつ言葉であろうと、つくづく思います。人の意を迎え入れればつまりは人にも受け入れられて、人に受け入れられたことは、畢竟(ひっきょう)相手の心も受け入れたわけで、つくすとかつかえるということは、相手の中に入って消滅してしまうことではなくて、相手をも又、自分の中にいれて溶かすことでもあるのです。

そのように、心に喜びが満ちていて、それを人にあげたいと願う人には、もう、創る力の半分は保證(ほしょう)されたようなものと考えます。あと半分は才能や能力でしょうが、才能という特殊地帯が人間の精神の中にあったとしても、それを押し出すポンプが無くては外に出るはずも無く、人を思う愛の心だけがそのポンプの役目を果たすと私は考えるのです。

つくす相手をもつということは、その人の人生が片道切符ではないという證(あか)しにもなります。ましてつかえる相手をもてば幸福は絶頂です。つかえるには相手に深く敬愛の念をもち、つかえるためには自分自身にも力量を必要とします。そして、その交流が両者のかかわり合いをますます深めていきます。

IMG_4797 aaa 人間は、創造する時にのみ充足し、受動的になる時、流れに従順にただよわねばならぬ時は満足しないものです。しかし、その創造に、人の意を迎える思いが加えられなかったら、原子力が人類の滅亡をもたらすことにたやすく続くであろうことを現代に生きる私たちは容易に知ることができます。マイカーから投げ捨てられた空缶がドライブウェーの両側や観光地に散乱していますが、自分が見ても醜いと思うことを、放恣(ほうし)によって、なぜ、人はするのでしょう。

しばし立ち止まって考えてみたいものです。できれば、少しあと戻りして振り返ってみたいものです。封建性で痛めつけられてしまった、つくす・つかえるという行為を、再び人間的なラインに引き戻してあらためてスタートすることを。 -紅会会長・斎藤磬-』

畢竟(ひっきょう)…究極。絶対。最終。その物事や考えを推し進めて最後に到達するところは。結局。要するに。

放恣(ほうし)…勝手気ままで乱れていること・さま。

いかがでしたか?1980年発行の《くれない》の文章ですが今の時代にも求められる文章のような気がしました。

 

生命溢れる5月

皆さんこんにちは、工房の齊藤康です。紅会は見渡すかぎりの新緑に覆われ、緑の中に建物が佇んでいる、と説明した方がいいほど生命力溢れる空間になっています。

さて、今日は工房作品の中から「染名古屋帯 竹林」をご紹介します。こちらは、伸び始めた若い竹と地面に倒れている枯れた竹の林に、光が差し込んでいる様子を思い描いてぬい上げた作品です。季節は問わず、また「元気になりたい」「今日会う方を励ましたい」そんなときにもお召しいただきますと(職人冥利につく)といったところでしょうか。

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「通信講座」がスタートしました

こんばんは、講座部の高橋信枝です。

日頃から日本刺繍に興味をお持ちでも、なかなか時間が取れずに教室には通えない方も多くいらっしゃると思います。

そのような方々に、日本刺繍をご自分の好きな時間に学んで頂ける紅会の「通信講座」がスタートしました。

日本刺繍は繊細な絹糸を自分の手でより合わせたり分けたりしながら刺繍糸を作り、

右手と左手を使って刺繍をしますので、高度なイメージがあるかもしれません。

そんな糸の扱い方や針の扱い方なども紅会の工房の職人の手さばきを収録したDVDで丁寧に説明をしています。

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こちらの「桜」が1作目です。より糸と平糸を使って繰り返し同じ模様を刺繍することで、一つ一つの技法をしっかりと体得することができます。

まずは、こちらで詳細をご覧くださいね。

紅会の通信講座お申し込みページ

皆様のお申し込みをお待ちしています!